休職、そのまま退職 ~(1)休職することになった時のこと
私は昨年、
会社を休職。
復帰することなく退職。
そして、職業訓練校へ入学した。
個人的な考えや感情は控えめにして、今回はその時のことを事実ベースで書くことにする。
段階的に記録を残すとして、
会社を休職することになった時のこと
について、今回は書く。
体調の異変を感じた連休明け
・ある連休明け。
朝起きようと思っても、まったく体が動かず起き上がれない。トイレに行くのも一苦労。仕方なく会社を休む(有給)。やっと起き上がれたのは夜9時くらいだったと思う。
・翌日(体調不良2日目)、
前の日と同様、夜まで起き上がれない。もちろん会社を休む(有給)。
明らかにおかしい。。
・その翌日(体調不良3日目)、
少し体が動いたものの、出勤はせずに先ずは病院へ行くことにした。
幸いにも当日予約できる病院があったのが有難い。
病院へ、休職診断書をもらう
病院では受付後バウムテストののち診察室へ。
いつからどういった症状が目立っていて、何に困っているのか、どうしたいのか?といった体調面のことを、医師からの問いかけに沿いながら話を進めた。*2
その際にふと思わず本音が出た。
「会社を少し休んでゆっくりしたいです・・」
そう言ったら、医師はすぐに休職診断書を書いてくれた。
病名は適応障害。
会社に連絡
病院を出てから、人事と上司、仕事の最低限の関係者に連絡を入れた。
多少の驚きと困惑を与えてしまったものの、粛々と受け止め事務的な処理を進めてくれた。
人事には診断書の画像を先ずは提出した(原本は後日郵送)。
休職開始日は、私が決めたように記憶する。翌日午前中に業務引継ぎ、午後は半日有給。翌々日から休職扱い。
もしメンタル的な不調が大きかったら、諸々を自分で判断して対応できなかったと思うけど、今回は不調は体調的なものが目立っていたので、しっかりと対応した。
業務の引継ぎ
正直やりたくなかった。
なんでそう感じたか自分でもよくわからないが、それが本音だったんだろうし、そう思ってしまうくらい実は追い詰められていたのかもしれない。
でも必要なことなので関係者に引継ぎをした。簡単にドキュメント化して、それを読み合わせるような形式。
相手にあまり変な気遣いをされるのは嫌だったので、こちらも粛々と進めて終わらせた。
後になって振り返ってみると、これが私の最後の業務になった。
休職開始
休職開始直後に、休職届と傷病手当金申請書の用紙が会社から届いた。
前者は必要事項を明記して会社宛てに提出する書面。医師に出してもらった休職診断書を添えてすぐに会社に送付した。
本来は休職開始日前に提出するものでしょうけど、会社の方で便宜を図って後追い対応にしてくれたもよう。
後者の方は、休職期間中に保険組合から支給される手当の申請書。医師の一筆が必要な書面なので、こちらは後日対応。
休職期間中、会社とは人事とのやり取りがあるものの、他の人との連絡は一切行わないこととなり、休職初日から自分でも驚く程ほど開放された気分になった。
休職開始まではざっとこんな感じだった。
はっきり言って、こんな簡単に休職できちゃうの?という印象だった。
休職診断書は、初診ではもらえないことも多いようだが、体の調子が半ば慢性的にずっと悪かったことと、休みたい旨を医師に伝えたことで話が早かったんだと思っている。病院自体もてきぱきと事務的にさばいていくような感じだったので、長々と診察もしていられないみたいだし。
なので、医師や病院によってはこんな簡単に診断書は書いてくれないだろう。
そして、会社側もある意味ドライに対応してくれたので、すぐに休職に入ることができた。
休職中のことは次回書くことにする。